はみがきしながらスクワット

趣味や生活のブログ

研究室のこと

先日、何年振りかに大学時代の研究室のメンバーや現役の学生さんと教授と集まる機会があった。

0歳の娘のお風呂を終えて授乳を終えて、まだ寝てはいないけど寝かしつけを夫にまかせて、電車に乗って、現地での皆との滞在は1時間ちょっとだった。

でもその1時間ちょっとで、なんだかすごく大事なことを再確認できて、うれしくなって、この気持ちを忘れないうちに残しておきたいと思ったので記事を書いている。

 

多分うまくまとまらないと思う。

 

でも一応記録として残しておきたい。

それくらいはしないと。

そんな気持ちになった。 

 

 

 

 

そもそもこの機会というのが、お世話になった2つ上の代の先輩の就職祝賀会。

 

これまでも仕事はされていたけれども、今回は常勤で正式に自分の研究室を持つことができるという就職で、ポストが減りゆく人文系の分野の中では本当に難しくなっていることだと思う。

 

ある意味ではスタートラインだけど、そこに立つことができるのはほんの、ほんーーーのひとにぎりの人で、学者としての優秀さももちろんだけど、タイミングとかいろいろあってとにかく難しいことなんだと、学生の頃にいろいろ見聞きした中で認識している。

 

なのでその知らせを教授から聞いて本当にうれしかったし、まだ若いのにそうやって認められるなんてすごい、そこに至る過程がすごい、と思った。

 

その過程では厳しいことや苦しいこと、嫌になってしまうようなことがあっただろうし、そういうものを乗り越えてこられたんだ、ということがわかるから。

想像だけど、何のあてもない想像でもない。

 

 

 

 

 

私は2006年に大学に入学して、2年生の後半から学部卒業まで、そして修士課程の2年間を含む約4年半を現代思想(哲学)の研究室で過ごした。

 

ちなみに現在、現代思想とか哲学とか、自分の研究テーマについて語ってと言われても、おそろしくて無理である。

当時ですら無理だったのだから、間違いない。

哲学という文字列を打ち込むことさえおそろしい。畏れ多い。

 

 

たとえるならば、自分がなんとか頑張ってつかまえられそうなサイズと思われる魚のしっぽが見えたので飛びついてみたら思ったよりはるかに巨大な魚で、つかまえるどころではなくただ魚にしがみついて振り回されるだけになってしまった、そんな研究生活だった。

私に足りないのは魚をつかまえる道具を得ることで、そのためには本をたくさん、たくさん、寝る間も惜しんで読まないといけなかったのだけど、それがしきれなかった。

 

 

周りには、道具を持った人達がたくさんいた。というか、どんどん入ってきた。

 

3年次編入とか、学部時代は他大学で大学院から院試を受けてうちの大学に入ってくる人達は、それだけでモチベーションが高い。

 

もちろん学部1年から一貫している人の中にもすごく優秀な人はいる。でも、大学1、2年の私とかがサークルや車の教習に行ったりしながらヘラヘラ過ごしている間に、かれらは「このままこの大学で4年間を終えたくない」と考えてそれを行動に移して、今行っている大学の生活と並行して試験勉強をしてきたんだもの。

 

それだけの強い意志があって、やりたいことがはっきりしている。頭も切れる。

 

でもそんな人達であっても、博士課程まで行く人は少なくて、博士課程に行ってもその後で何かしら行き詰ってしまうこともある、厳しい世界だった。

 

私は修士課程に進んだものの、就職活動をして、就職先を決めて、修士論文を書いて卒業した。

 

 

 

そんな学生生活だったけれど、私にとってこの研究室との出会いは強烈で、その後就職してからも自分の中でひとつの行動規範、自分のおこないを映す鏡のようなものを形づくっている。

 

ゼミ、読書会、研究発表の場などを通じて、様々な世界のとらえ方や価値観を知ることができた(自分の乏しい知識で理解できる範囲内ではあるけれど)。お手本にしたい素敵な人もいた。

 

私はこわがりで、こんなブログに何かを公開することでさえこわくて、何度も読み返して修正を繰り返してしまうので、すごく時間がかかる。

 

それで、こういう風に自分が何かを発信する時に頭のどこかにあるのが、「これを研究室の面々に見られて恥ずかしくない内容かどうか」という考えである。

 

研究室の方々に見られて良い内容ならば、誰にでも見られて良いと思う。そんな鏡になっている。

 

 

まあ結局最後には、恥ずかしいのかどうかよくわからなくなって、「もういいや!」って両目つぶって高い所から飛び降りるみたいに公開するんだけど。

 

 

本なんかも、「最近これが面白かった」って胸を張って紹介できる本を読むことをどこかで意識してしまっている。

それくらいの存在。

 

 

 

 

 

 

哲学やってる所って言ったら、暗いとか考えすぎて病んでるとかそんなイメージを持たれることあるけど(私のせいかも)、飲み会の雰囲気明るいよ。

 

もちろん人によっては私のように人の話を聞いているのが好きなタイプの人もいれば、自分からしゃべるのが好きなタイプの人もいるし、教授はすっごい強烈だけど、話してみると皆面白い。

 

先日も、笑いの絶えない楽しい会だった。

 

就職の決まった先輩に気持ちばかりの菓子折を渡すと「さすが社会人」と言われた。

 

私にとっては同窓会みたいな感じだったけど、20人前後集まったメンバーをよく見てみると、 大学で研究を続けている人が大半だった。学部・修士課程の時の同期もいた。

 

「そうか、あの厳しい世界で、強い強い自律が求められる世界で、みんながんばっているんだ」

 

なんだか感動した。

 

研究を続けることは、実るか実らないかわからないことに何年も取り組むことなので、ものすごい忍耐力、その他諸々が必要だと思う。

 

その一方で、研究をやめることにも、たいへんな勇気がいる。(私みたいに未来のことをよく考えられず軽率な意思決定しかできない者は別として。)

 

私はどちらの決断にも敬意を払いたい。払い続けたい。

 

先日会えなかった人達も、それぞれに元気でいてほしい。

 

 

それでやっぱり、ここの方々に胸を張れるような自分でいたい、という気持ちを再確認した。

 

 

いま、研究室の知り合いと会える機会は数年に一回あるかないかだけど、

こんなに大事な場所だった。

こんなに大事な場所があって、自分のよりどころになっていることが改めてわかって、うれしかった。

 

 それだけ。

忘れないように、記録しておく。