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『一汁一菜でよいという提案』/土井善晴 感想、自炊のすすめなど

とあるリノール酸低減療法のサイトを見ていた時に、気になる書籍のリンクがあったのでAmazonに飛び、その書籍のページのおすすめ(この本を買った人はこんな本も買っています、の所だったか)にあった『一汁一菜でよいという提案』を購入した。

元々気になった書籍(こちらも購入済み)も、家で積読になっている本たちもさしおいて、この本を一番に読み切ってしまった。

 

内容は、ひとことで言って期待以上のものだった。

みんなに読んでほしい。誰にでも。

私のように自分と家族のごはんを作るため料理している人はもちろん、家族の作った料理を食べている人にも、一人暮らしの人にも読んでほしい。

それくらい価値のある本だと思うし、個人的に大きな意味のある読書体験になったので、

感想やおすすめポイントを書き残しておきたい。

 

といって書きかけのまま1か月たってしまった。

毎年思うけど、1月から3月にかけて、月日が矢のようだ。

 

以下、途中から、本を実家に送ってしまったため手元にない状態で、記憶を呼び起こしながら書いている。

 

 1.自炊が楽になる

もう本当にこれは、この本を読んで、というかかなり序盤の段階で、気持ちが楽になった。毎日、メインと汁物を考えて、副菜一種で足りなさそうだったらもう一種考えて、と、献立を考えるのにかなりの時間と労力をついやしていた。(実際は毎日ではなく3~4日分の献立を主に週末にまとめて考えていたけれど。)

でも、土井氏によると、一汁一菜=ごはんと具だくさん味噌汁と漬物が基本で、余裕があれば他に1~3品作ればいい、ということで、本書にはその考え方と実践例がたくさんの写真付きで書かれていた。

丸ごとのピーマンを入れた味噌汁、なんてものもあった。

なんでもいいんだ、味噌汁の具って。

(私は以前サニーレタスを入れたことがあるけど、完全に失敗だった。)

 

家庭料理は地味なもの。脳が喜ぶ刺激的なおいしさ、わかりやすいおいしさはいらない。「ふつうにおいしい」でいい。いつも同じでいい。なんなら味噌汁がおいしくない日があってもいい。

お店のまねをするなど、不自然なことは家庭料理にふさわしくない。

 

なんだか、すっと肩の荷が下りたようだった。

「家族が喜んでくれるように、おいしいものを作らないといけない」「栄養のバランスよく」「飽きないように」などの考えを形にしてくれるレシピが、最近はインターネットでいつでもどこでも見られるようになった。レシピ本も数多く出版され、工夫をこらしてお店の味を再現するようなおいしい料理が作れるようになった。

それはそれですごいことなんだけど、助かっている部分もあるんだけど、かえって苦しむようになった面もあった。私は、最近よくレシピ本を活用しているけれど、くりかえし作っても調味料の量がなかなか覚えられなくて、ストレスを感じていた。

味噌汁なら、味噌をだいたいの量すくい入れて、味見しながら調整するだけで良い。

なんて便利なお味噌。

 

それに、身近になったおいしいレシピは、油を使うものが多い。

植物油のとりすぎは、体の免疫機能が過剰になってアトピーや花粉症につながる。

 そこで、お味噌汁とお漬物があれば良いということなら、油を全く使わずにすんで、体にもよい。

(必要な油分は、野菜にだって米にだって、肉や魚にだって元々含まれている。)

 

そんなこんなで、この本を読んでからは毎日の晩御飯の献立を、一汁一菜を軸に考えるようになった。そうなってからも、実際には、ごはん、味噌汁、漬物の3品だけという日は少ない。でも、究極この3品でよいという軸を持つだけで、格段に献立を考えやすくなる。

鮭が食べたい→今日は鮭は味噌汁には入れたくない→塩焼きにしよう→野菜たっぷりの味噌汁でバランスをとろう

という感じで、味噌汁に入れたいかどうかを判断基準にしながらメインや副菜が決まるようになり、メインの肉魚と常備野菜と、何か旬の野菜を日々買いそろえるようになった。

日々の食卓は前より変わり映えのないものになったと思うけど、その分心に余裕が生まれて、下ごしらえを丁寧にするようになったし、気が向いたとき、食べたくなったときにはカレーやシチューだったり、レシピ本にのっているおかずもつくる。

 

ちなみに、漬物は、白ごはん.comにのっている簡単な浅漬けのつくり方を見つけて、それを参考にしている。こんなに簡単なら、できあいの漬物とか浅漬けのもととか買わなくていいじゃん、と思った。

 

2.自炊する意義を実感する

これも、とにかく本を読んでみてほしいんだけど、この本の中で、レストランでの食事、ファストフード店での食事、コンビニで弁当を買う、家で自炊する、といったそれぞれの場合に作り手と食べ手の間で何が取り交わされているかを比較して、自炊することにどういう意義・機能があるのかをわかりやすく示してくれている所がある。

そういう所を読むと、自分が子どもの頃から家族が作ってくれる料理を食べることで、いろいろなことを受け取っていたんだ、ということがよくわかる。

安全な食べ物を判断する基準を自分の中にもつことだったり、愛情だったり。

以前よりも、自炊することを大事に思うようになった。

 

3.和食が好きになる

この本の目次を見ると、日本人、日本、和食、といったことばが出てくる所がある。

私のように、「ニッポンスバラシイ!ニッポン人スバラシイ!天皇国家!」みたいな言論が苦手な方、薄っぺらい昭和懐古主義が苦手な方も、安心して読んでほしい。

この本の中には、食をめぐる昭和の風景についての描写などもたしかにあるが、

根底にあるのは、昭和に回帰しよう、みたいな浅い視線ではない。

もっともっと昔、日本が国家として成立するよりもずっと前、この地に人が住むようになって、魚をとったり、はえているものを食べたり、とかそのくらいから自然と受け継がれてきたような、自然・気候の変化・季節のうつろいに対する敏感な感性。

そういうものを尊重している。

しかも、土井氏によると、若者だってそういうものを持っている、という。

そういう感性によって立つものとしての和食だからこそ大事で、ユネスコ無形文化遺産になったことが喜ばしいことなんだと。

 

素材を味わう、旬の食材を味わうのが和食の本質。

 

和食が無形文化遺産になったときに、メディアがプロの料理人ばかり取材して、本来和食をになってきた、家庭で料理している日本のおばあちゃん達を取材しなかった、と書かれていたのが印象的だった。

時代によって変わってはいるけれど、旬をたのしむ、素材を味わう、という和食の本質がそこにはあって、家庭から家庭へと受け継がれてきたのだ。

 

自分はどうか。受け継いでいるか。ネットやレシピ本に頼ってばかりだけど…

そういえば母から教わって初めて自分でできるようになった料理はお味噌汁だった。

それでよいのかもしれない。

とにかく、この本を通して、和食って本来難しいものでも堅苦しいものでもないんだな、と感じてもらえると思う。

 

 

以上、思い出せるかぎり書いてみた。本当につたない文章だけど、何か伝わればいいなと思う。

 

これ以来すっかり土井先生のファンになったので、テレビ朝日系「おかずのクッキング」を最近毎週録画して見ている。

意外になんともゆるいノリで、土井先生がただただ楽しそうに簡単そうに料理をしていて、楽しい番組だった。これなら作ってみたい、と思えるのもありがたい。

 

実家には、「土井先生の本はお父さんもぜひ読んでみて」と書いたメモを一緒に送った。